江戸時代の盗賊で、庄司甚内、鳶沢甚内と共に三甚内と呼ばれた。
元武田氏の家臣であったが、関東に流れ盗賊になった。
北條氏滅亡後に江戸を荒らしまわった
風魔小太郎とは対立関係にあり、風魔一党の隠れ家を密告したことにより、風魔小太郎は囚われて処刑された。
その後、高坂甚内も鳶沢甚内の密告により囚われ、処刑された。
高坂甚内は瘧を患っており、死に際に「瘧さえなければ捕まることはなかったのに。瘧に苦しむものは我に念ぜば癒してやろう」と言い残したと言われており、浅草の甚内神社では瘧に利益のある神としてまつられている。